とあるヘタレ絵描きヲタのチラ裏雑記。
あの花の名前を彼女はもう知っている。
来ヶ谷唯湖曰く、
「嗚呼、この可愛い小さな花の名前を、可愛い小毬君に連呼させたい……。」
ふぐり
小毬:「おっけー。もちろん知ってますよー。この花の名前は、おおいぬのふぐり。」
唯湖:「もういちど」
小毬:「おおいぬのふぐり」
唯湖:「では小毬くん、『ふぐり』とはどういう意味か知っているかい?」
小毬:「ふえ?うーん。辞書で調べてみるよ。」
ぱらぱらぱら
唯湖:ニヤソ
小毬:「ふええぇぇぇぇ~~ん//////////」
唯湖:うっとり(恍惚

……。
春は意外とすぐそこまで来てるかもしれません。
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僕はたしかに僕として、ここにいるのに(リトルバスターズ! 二次創作SS)
目が醒めると、僕は教室にいた。
教室には、誰もいなかった。
いつもなら、僕が眠りから醒めるとすぐに「大丈夫か、理樹」と僕を心配してくれる恭介も、ここにはいなかった。
「恭介、いないの?・・・・・・恭介!」
恭介の名前を呼んでみたものの、僕の耳に聞こえるのは、僕の声だけ。
恭介は、いない。
恭介だけでなく、鈴も、真人も謙吾も、小毬さんも、いない。
「……!」
軽い吐き気を覚えた僕は、まるでなにかに押されるように教室を飛び出した。
そして、屋上へと続く階段を駆け上がった。
あそこなら、きっとあそこなら、小毬さんに逢える。
僕は、夢中で階段を駆け上がり、まるでなにかに引き寄せられるように屋上に飛び出した。
「……。」
僕を待っていたのは、小毬さんではなかった。
僕の眼前に広がる、世界。
僕がいるから、世界はある。
でも、その世界には、誰もいなかった。
小毬さんだけでなく、恭介も、鈴も、真人も、謙吾も、クドも、西園さんも、葉留佳さんも、来ヶ谷さんも……僕の名前を呼んでくれる仲間は、誰もいなかった。
……。
僕の名前。
……。
あれ?僕は……いったい、誰だろう。
僕はたしかに僕として、ここにいるのに。
……。
僕はここにいる。
……。
ここにいるのは、本当に僕なのだろうか?
……。
この世界には、僕の名前を呼んでくれる仲間は、誰もいなかった。

(リトルバスターズ! 二次創作SS)
愛する娘、渚へ。(CLANNAD 二次創作SS)
愛する娘、渚へ。

いつだったかおまえは、俺に問うた。
「わたしのせいで、お父さんもお母さんも夢を諦めたのですか?」と。

たしかに、俺も早苗も、それぞれの抱くひとつの夢を追い続けることを止めた。
だが、渚。夢を抱くことと、夢を叶えることとは、違うことなんだ。
夢を抱くことは、無限の可能性を抱くことだ。しかし、夢を叶えることは、無数の可能性のうちからひとつのものを現実のものとするために、その他いっさいの可能性を犠牲にすることだ。
だとすると、俺も早苗も、それぞれの抱くひとつの夢を叶えるには、その他いっさいの可能性を犠牲にしなければならない。
でも、俺と早苗は、それぞれの抱くひとつの夢を犠牲にした。
何のために?
それは、俺達が抱いていたひとつの夢を犠牲にしてでも心から叶えたいと思える夢を抱いたからだ。
心から叶えたいと思える夢……。そう、渚。おまえこそが、俺達が心から叶えたいと思える夢だ。
おまえがいまここにいること。それこそが、俺と早苗にとって、夢を叶えた証だ。そして、また俺達は夢を抱き、それを追い続けている。おまえが夢を叶えるという、夢を。

だから渚、おまえはおまえの夢を叶えろ。
たしかに、夢を叶えることは失うことでもある。
しかしそれは、決して悲しむべきことじゃない。
無数の可能性を犠牲にしてでも叶えたい夢、それがおまえにとっての「本当の夢」なのだから。

だから渚、おまえはおまえの夢を叶えろ。
たしかに、途半ばで諦めてしまうであろう夢もある。
しかしそれは、決して悲しむべきことじゃない。
途半ばで諦めてしまうということは、無数の可能性のなかに、おまえにとっての「本当の夢」があるということなのだから。

だから渚、おまえはおまえの夢を叶えろ。
それが俺と早苗にとっての、かけがえのない「本当の夢」なのだから。

(CLANNAD 二次創作SS)
リトルバスターズ!と「永遠回帰」
恭介は言う。「理樹と鈴を成長させるために、理樹と鈴が待ち受ける過酷な現実に負けない強い“力”を得ることができるようにするために、永遠に1学期が繰り返される世界を作り出した。」と。
だが、「全く同一のものが繰り返される」としたとして、はたして理樹と鈴を成長させることはできるのだろうか。つまり、「全く同一のものが繰り返される」としたのでは、「弱さ」といった否定的なものまでもが永遠に繰り返されてしまうのではないだろうか。
リトルバスターズの仲間達と過ごす楽しい日々が「永遠」に続くことを望む理樹にとっては、「リトルバスターズの仲間達と過ごす楽しい日々」という「全く同一のものが繰り返される」世界は理想的なものであるかもしれない。しかし、それでは理樹と鈴を成長させることはできず、「世界」は存在の理由を失う。最早、理樹と鈴を成長させるためには「世界」は滅びなければならない。

そうだとすると、「永遠の世界」などやはり存在しないのだろうか。つまり、麻枝准はリトルバスターズ!という作品をもって「永遠の世界」を否定したのであろうか。
理樹は言う。「僕は知りたくなかったんだ。 生きることが、失うことだったなんて。」と。
「失うことのない世界、なにもかも、変わることのない世界」が「永遠の世界」であるならば、「“永遠”なんて、なかったんだ」といえるであろう。
だが、「永遠」は「失わないこと」、「なにもかも、変わらないこと」でしかないのだろうか。たとえ失ってしまったとしても、何度でも生成を繰り返すことができるのではないだろうか。たとえリトルバスターズの仲間達と過ごす楽しい日々を失ってしまったとしても、何度でもリトルバスターズの仲間達と過ごす楽しい日々を始めることを繰り返すことができるのではないだろうか。理樹が、失うことを怖れる「弱さ」といった否定的なものを放逐し、リトルバスターズの仲間達と過ごす楽しい日々を始めることを繰り返すことができることを肯定し、それを自ら選ぶのであれば。
このことに理樹と鈴が気付き、それを強く意志したとき、恭介が作り出した「永遠に1学期が繰り返される世界」は、滅びなければならない。それは、理樹と鈴が、そして、恭介や小毬、リトルバスターズの皆が「世界」を生成するためである。そして同時に、「永遠に1学期が繰り返される世界」が滅びることは「ゲームマスター」が滅びなければならないことを意味する。理樹は、かつて恭介に救われたかもしれない。しかし、恭介は、決して理樹に救われることを望まないであろう。むしろ、恭介は滅びることを望むであろう。だが、恭介はただ滅びるのではない。恭介自身を生成することを繰り返すために滅びるのである。それは<ライオン>が、<小児>となるように。恭介は、いつだって「遊びの天才」なのだから。

「永遠に1学期が繰り返される世界」が滅びなければならないとすると、やはり麻枝准はリトルバスターズ!という作品をもって「永遠の世界」を否定したのであろうか。
思うに、リトルバスターズ!という作品で麻枝准が辿り着いた「永遠の世界」は、「“永遠に”なにもかも変わらずに同一のものが繰り返される世界」ではなく、「(消滅と)生成が“永遠に”繰り返される世界」ではなかろうか。そしてそれは、神という「永遠」なる存在によって与えられる「世界」ではなく、人間が自ら選択することで「永遠」に繰り返すことのできる「世界」ではなかろうか。
たとえ、何もかも変わらずにいられなかったとしても、永遠は此処に在るのである。

以上からして、麻枝准は、リトルバスターズ!という作品をもって「永遠の世界」に決着をつけたといえよう。それゆえ、麻枝准はリトルバスターズ!を最後の作品としようとしたのではないかと、私は思う。
2014年もよろしくお願いいたします。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいいたします!

…更新頻度は右肩下がりの拙サイトではございますが、なんとか今年もほそぼそと続けていく所存でございます(汗

というわけで、年明け一発目から張り切って、先日終了したリトルバスターズ!アニメを視終えた勢いで別エントリでリトルバスターズ!の考察のような駄文を書き連ねてみましたので、よろしければどうぞお付き合いくださいませm(_ _)m

ところで、今年の私の抱負は…
…。
……。
やはり健康第一ということで(;^^)ゞ
いや、なんていうか、健康が気になるお年頃なものでしてw