とあるヘタレ絵描きヲタのチラ裏雑記。
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麻枝作品とは何か、あるいはCharlotteへの不安感
誤解のないように先にお断りしておくと、私は麻枝作品のファンですから、『Charlotte』には期待しています。

ですが、どうしても一抹の不安が拭えないのです。

それは、麻枝さんが「面白い作品」を作ろうとしてしまわないだろうか、ということです。

こんなことを言えば、アニメファンの皆さんから「面白い作品を作ろうとして何が悪いのか」と叱られるかもしれません。

もちろん、「面白い作品」を作ろうとすることが悪いとは言いません。

しかし、「面白い作品」を作ろうとしてしまうことによって、麻枝さんではなくても作れる作品を作っては欲しくないのです。

私はかねてから、AIRからリトルバスターズ!までの作品は、麻枝准という人間の実存的苦悩によって書かれたものではないか、と思っています。

もちろん、「物語としての面白さが」あるからこそ、これらの作品が多くのファンの支持を得たことは否定しません。

ですが、「物語としての面白さ」はあくまでも具材の味を引き立たせるスパイスであって、麻枝准という人間の実存の不安や苦しみこそが、麻枝作品を麻枝作品たらしめる本質であると思うのです。

そのような麻枝作品の本質にシンパシーを感じたからこそKey作品が好きになったというのは、私だけではないでしょう。

もっとも、商業作品である以上「売れること」が第一でしょうし、昨今のアニメファンが「物語としての面白さ」しか求めていないのであれば、麻枝さんが「面白い作品」を作ろうとしてしまっても、それはそれで仕方がないのかもしれません。

しかし、それでも私は、麻枝さんには「売れるための面白い作品」を作ろうとして欲しくはないのです。

単に「売れるための面白い作品」は、別に麻枝さんでなくても作ることができるのですから。

たとえ世間の評価がどうであろうと、麻枝さんには「智代アフター」のような麻枝さんにしか作れない作品を作って欲しいのです。

『Charlotte』が、麻枝准という人間の実存を賭けた、麻枝准でなければ作れない作品であることを、私は切に願います。
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