とあるヘタレ絵描きヲタのチラ裏雑記。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
麻枝准の「永遠」
麻枝作品で描かれる、いわゆる「永遠の世界」は、麻枝作品を難解ならしめている要因であると同時に、麻枝作品の魅力の肝ともいえるものである。
「永遠の世界」と聞いて私たちがまず思い浮かべるのは、おそらく「永久不変の世界」ではなかろうか。
しかし、<私たちが生きる世界>は、麻枝が『CLANNAD』において渚に語らせたように「なにもかも、変わらずにはいられない」世界である。
そうだとすれば、『ONE ~輝く季節へ~』において浩平が言うように「永遠なんて、な」いものと思える。
だが、それにもかかわらず、麻枝は『ONE ~輝く季節へ~』において、瑞佳に「えいえんは、あるよ……ここに、あるよ……」と語らせる。
なぜ、<私たちが生きる世界>が「なにもかも、変わらずにはいられない」世界であるのに、麻枝は「永遠」が「ここにあること」を諦めないのだろうか。
思うに、その答えは、『CLANNAD』における渚の、朋也に対する問いにある。
渚は朋也に、何もかも変わらずにはいられないとしても、この場所が好きでいられるか、と問う。
たしかに、<私たちが生きる世界>では、「なにもかも、変わらずにはいられない」のは確かだ。
しかし、そうであっても、私たちの生きる「この場所」は永遠である。
そしてそれは、「この場所」として、いま、ここにある。すなわち、「永遠は、ここにある」のだ。
そうして、『CLANNAD』で永遠がここにあることを「諦め」ることなく「明らめ」た麻枝は、『リトルバスターズ!』で「永遠」について答えを出す。
『リトルバスターズ!』において理樹は、どんな楽しいこともいつかは終わるものである事を知る。
しかし、だからといって永遠がここにない事にはならない。
なぜなら、楽しいことが終わるものであるとしても、大好きなこの場所で、また始めればいいのだから。
この場所を好きでいられれば、どんな楽しいことも永遠に始めることができるのだから。
弱さを振り払うことで手にした、強い力への意志で駆け抜けるこの青春(いま)が永遠なのだ。
こうして考えてみると、麻枝准の「永遠」は、それを<彼岸>に求めるキリスト教・西洋的な永遠ではなく、それを<いまここ>に求める仏教的・東洋的な永遠ではあるまいか。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
魚からナミダ?
 あれ?目からうどん??
いや、なんとなくこの語りを読んですっきりしたって事を伝えようと思ったのですけど、なんだっけ??(笑)
あ!目からワサビ!!!(爆)
2014/10/04(土) 19:32:20 | URL | たくと01 #EBUSheBA[ 編集]
目からゴボウ
たくとさん、コメントありがとうございます。
一応、現時点での私見ではありますが、このテーマについては永遠に未完成な気がします。「永遠」についてなだけに……
2014/10/06(月) 23:15:01 | URL | 芦部ゆきと #u2IsWYQA[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。